クリスマスに近い12月のある日の夜、二人で梅田を歩いていると、
阪急百貨店前のイルミネーションに飾られたコンコースが見えてきた。





彼は「わぁ、観て観てあれ、キレイだね」と言った。

僕も「そうだね」と返したけど、
年末に近い梅田の街は人で込んでいて、元々の性格のせいもあると思うのだけれども、
僕は人込みの中を歩くのが少し嫌だった。


僕はそのイルミネーションの真下を通る人の流れを避けて、もっと端っこの方の人の流れがない所を歩こうとしていた。



そんな僕の性格を知ってか、彼は

「だめだよ。こっちこっち。こっちを通ろうよ」と言って

僕の腕を引っ張ってイルミネーションの真下を通る人の流れの方へ僕の身体を向かわせた。


「あ、でも・・・人込みが嫌いだし・・・あっちの方が空いていて・・・」

「いいから、いいから、あの真下を通り抜けようよ」



僕と彼は、お互いに肩や腕がくっついたり、離れたりを繰り返し、
また指も触れたり離れたりを繰り返すくらいの近さでくっつきながらイルミネーションのトンネルの中を歩いた。


「ルーチフェスタ阪急」と名が付けられたそのイルミネーションは、イタリア語で「光の祭典」を意味しており、
規模としては神戸ルミナリエに遠く及ばないし、わざわざこれを観るためだけにやってくる人はいないけれども、
街中のアスファルトやビル群や雑踏などの中でこれに出くわすと、確かに心が沸き立って祭りに来た様な感覚になる。



僕と彼は、吹き抜けのイルミネーションで飾られた天井を見上げながら歩いた。
ほんの一瞬だけれども、光のトンネルの中を歩いているような感覚になった。

「キレイだね」と彼は言った。
僕も「そうだね」と返した。



『ときには、真ん中を歩くのも良いものかも知れないな』




と、ほんの少しだけ思えた。












彼とは数年付き合った後に、別れた。



今でもお互いに、携帯電話のメールアドレスは知っていて、
1年~2年に1回くらいメールで連絡のやりとりすることがある。

まぁもっともお互いに未練はないので、引越ししたとか、携帯のアドレスを変えたとかの
事務的な連絡だけなのだけれども。

もし、今、彼とHすることを想像すると軽く嫌悪感を覚えるくらいだ。
離婚した夫婦のような感覚なのかも知れない。

彼は、今は新しい恋人と暮らしているようだ。




別れて、お互いに別々の道を歩みだした。

恋人としての未練は全くないが、人としては今でも好きなのは変わらない。



彼は僕より年下で、この「ゲイの世界」での経験は僕より少なかったけれども、

僕に色々なことを教えてくれたからだ。


それは、相手を好きになること。
そして、誰に恥じることなく、そういう自分でも良いんだと思えること。
それは自分や他人を「受け入れる」ということにも繋がるものだった。
それを彼は態度や、言葉を通じて、僕に教えてくれた。





人として少しは僕も成長出来たのかも知れない。






しかしながら、僕にはある問題があった。

無理やりに強引にしてしまったことがあった。





去年2012年の「世界エイズデー」の12月1日に僕はネットだけのゲイ友とチャットをしていた。

そこでHIVの話題になり、大阪でも感染者が増えていることや若い子の感染も増えていることを教えてもらった。
そのチャットの中で、HIVに感染したある若い子が某サイトの掲示板に
自分の不安や心細さを書いていたもののリンクを教えてもらい僕はその内容を観た。


僕は居たたまれない気持ちになった。


そこから先は日を追うごとに、強迫観念的にHIV検査のことを考えるようになり、検査を受けた。
そして、なぜこんなに「恐怖」を感じるのかを考えるようになった。



僕が、恋人が出来てから、ハッテン場に行かなくなり
自分の心の奥底へ封じ込めたと思っていたもの。

完全な鋼鉄のボックスに入れて完璧に施錠していたと思っていたそれが、
ある日、ふいに扉が壊され、開かれたのだった。




それはチャットで教えてもらったHIVに感染した若い子の書き込みを観たからなのか、
そして単純に年齢だけのイメージによって自分の20代前半の暗黒時代を思い出してしまったからなのか。

それらの衝撃によって扉が破壊されてしまったのか。

記憶や脳のどういうメカニズムでそうなったのかよく分からないが、しかし封印は解かれてしまったのだった。




ハッテン場の暗闇の中で誰にも心を開かずに、激しいセックスに溺れ、
自分自身にも嫌気が差していた暗黒時代。


そして、自分の心の中に闇の部分も見てしまってもいた。
それは自分を「受け入れる」こととは全く逆の方向の、
なんでゲイなんだ、なんでこんな社会なんだ、なんで、なんでといつも思っていた。

孤独感や絶望感、疎外感、閉塞感を感じていた。


そしていつしかハッテン場の暗闇の中で、自分でも自分の気持ちが分からなくなり、
自分が対峙していたと思っていた心の闇にも、僕自身、呑み込まれてしまっていた。





HIV検査を受けるときに僕が感じていた「恐怖」





そうなんだ。





僕が感じていた闇、囚われた闇、呑み込まれてしまった闇

そこから逃れようと忘れようとしていた闇

そしてそれを心の奥底へ封印していたと思っていた闇






この闇こそが、僕の恐怖の正体だったんだ。