自分の腕にうずくまって寝ていた僕の両頬を、ママは左右からつまんで、
「タテタテ~ヨコヨコ~マル書いてちょん~」とか歌いながら上下左右に回しながら遊び始めた。


ぼくが「にゃ~」と声を出すと

「なにが、にゃ~よ。猫じゃあるまいし。でもあんた、どんな顔してもかわいいわね。憎たらしいわね。でも、可愛さで売れるのは若いうちよ。あんたも、そのうちオッサンになるんだからね。」

とママは言った。


店にはリチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」が流れていた。

僕はママのほっぺた遊びから逃れるために、「看板取ってきますね」と言って外に出て、廊下に置いていた置き型のネオン看板のコンセントを抜き、店の中に戻した。

ママもグラスなどの洗い物をし始めた。(まぁ、ママと言ってもやっぱりオッサンですけどね)
「ありがとね。ヨースケ」と言うママの隙を突いて、
CDラジカセの停止ボタンを押してラジオに切り替えた。何かのジャズが流れていた。




ママは片付けを終え、タバコを1本取り出して、腕組をしながら火をつけた。
(あ、「火をつけた」のはタバコにですよ。やらしいことの婉曲的な表現ではありませんw
まぁ、ママと言っても40代のオッサンですからね)




「ところで、ヨースケ、うちの店で働かない?実はね、○○ちゃんが家の事情で地元に帰ったのよ。あとはアタシと○○君だけで店回してるのよ。ほら、○○君はリーマンしてるから、空いてる日だけしか無理なのよ。どう?ヨースケ、うちで働く?え?嫌なの?
あ、っそ。あんた、そういうトコはハッキリしてんのね。」



僕は堂山で毎日のように遊んでいたし、店子の人とも友達になったりしていたけど、
店子として働くことには少し抵抗があった。
何かキャラが違うと言うか、聞くには良いけど、僕自身がオネェ言葉で喋ることに違和感があったからね。


「ヨースケ、あんたいろんな店で遊んでるみたいじゃないの。
あんまり遊びすぎてるとそのうち悪い噂が立つわよ。そういう噂とか好きなんだからね、この業界は。この前なんかも○○さんがね、ヨースケも知ってるでしょ?そう、あの人。あの人が今日はヨースケ君休みなの?って聞くから、あの子はうちの子じゃありませんって言ったわよ。じゃどこの店の子?とか聞いてきたわよ。他の人も同じようなこと言ってたわよ。あんた、どっかの店子だと思われてるわよ。遊びすぎよ。」




ママ(実際はオッサンですけどね)はそう言いながら、続けて僕に聞いてきた。



「ヨースケ、あんた大学生でしょ?ちゃんと学校行ってるの?」



そう聞かれたので、僕はほとんど行ってないと答えた。




ママはタバコの煙を溜息をつくような感じで空中にゆっくり吐き出した。







「あのね、ヨースケ。アタシは高校出てからこの業界で働いているの。この仕事が好きよ。店に来てくれるお客さんはね、みんなどっかの会社で働いてるサラリーマンの人とかが多いのよ。みんな、こっちの人だからね。人には言えないものを背負ってるのよ。そういう人が楽しいひと時を過ごそうとこの店に来てくれてるんだから、アタシも明るく楽しくお客さんに接してるのよ。ときには、人には言えない不満とかを言う人もいるのよ。会社の不満とか人間関係とかの愚痴とかね。そういうとき、アタシは黙って聞くの。
でも、そういう人でも帰るときは、ありがとう、今日は楽しかったよって言ってくれるのよ。だから、アタシはこの仕事好きなの。今はね、一生懸命働いてお金貯めて、マンション買おうと思ってるのよ。最近は水商売でもある程度収入があればローンは組めるのよ。でもアタシはお金貯めて自分で買うの。それが今のアタシの目標よ。ヨースケ、あんた学校行ってないって言ってたわね。アタシからしたら大学に入ってるってだけですごいと思っちゃうわ。何か目標ないの?目指してるものとかないの?」




僕は今のところ、特にないと答えた。






ママは今度は本当に溜息をつくような顔になってゆっくり目を閉じて顔を左右に振った。





「なにか目標を持たないとね。夢を実現しようってよく言うじゃない?でも社会に出たらそんなに簡単には夢は実現できないわ。でもね、ヨースケ、大事なのは夢を実現することじゃないの。夢を見失わないことよ。自分がなりたいものや、行きたい方向を見失っちゃだめよ。どういう仕事やってようが、アタシはそういう夢を持ち続けている人が好きよ」




そう言って、ママは再びCDのボタンを押してリチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」に曲を戻した。







このママのことは人として好きだった。






でも僕はそのころ、いろいろな人間関係に思い悩みながら、
「自分がゲイであること」や「なぜこんなにも毎日この街で遊んでいるのか」ってことについて自分でもだんだんよく分からなくなってきていた。






そして、「ハッテン場」というものに興味を持ち始めた時期だった。




ママが言ってくれたことは僕にもよく理解できた。

でも頭では理解できたけど、気持ちは何か満たされないものを感じていた。







もうすぐ20歳になろうとしていた。





僕はゲイバーでママの話を聞きながら、
「ハッテン場」という所に、近いうちに行ってやろうと密かに思っていた。