「切迫感」ってね、意味としては追い詰められてぎりぎりである心理的な状態、何かが差し迫ったように感じる状態のことだよね。

前にさ、僕がHIV検査受けようかどうしようか考えていたときの状態を書いたときにも、
これと似たような状態のことを書いたよね。

「「なんで追い詰められたような感じに襲われるのか」その正体を僕は知りたい」って書いてるね。ゲイっていつも何かに追い詰められたような状態になるのかね。何か哀しいね。



「切迫感」ってさ、なんで生まれるのかと言うと

自分の性的志向に気づくのはだいたいほとんどの人は身体の第2次成長のある中学生くらいだよね。マスターベーションを覚える時期に自分で分かるわな。

中学、高校を出て、就職したり、大学や専門学校などに行ってそれから社会人になって働き出して30歳前後くらいで結婚する(最近は未婚率が高くなっているけど、80年代90年代はこんな感じだよね)っていうようなライフサイクル的な一般的な流れがあって、それぞれどこかの段階では恋愛する人は恋愛してるよね。

ゲイの人ってそこで「置いてけぼり」を食うわけだね。
自分だけその流れに属していないような感覚、一人ぼっちの孤独な感じ、
そういう自分の状態に気づいたときに、この「切迫感」が出てくるんだよね。

この「切迫感」は自分の周囲との関係の中で感じてしまうものかも知れないね。
周りがみんな誰かと恋愛しだしたら「焦る」わな。

あとはその人の生活環境などもこの「切迫感」に影響してくるだろうね。
僕は大学に入ったときに一人暮らしを始めたから、
それがこの「切迫感」をより一層加速させたのかも知れないね。
それまで家族と住んでた人が、一人暮らしを始めると急に人恋しくなって
「恋人作りたい」って気持ちが増したりすることってけっこうあるみたいだからね。


でも、この「切迫感」はただ追い詰められた感覚になるだけではなくて、何かに動き出す「動機」、「きっかけ」にもなるんだよね。

この「切迫感」を感じる時期やその強弱は人それぞれ違うと思うのだけれども、
この「切迫感」を感じる時期が早い程、また強ければ強い程、
「ゲイの世界」に入る時期が早くなったと思うんだ。



人間ってすごいもので、あるモノについて何も知らない分からない状態でも、
「どうしても知りたい」、「そのものが欲しい」って強く思えば、
「何かしらの行動」を始めるものなんだよね。

「ゲイの世界」についての情報を自分が何も持ってなくて、それをどうしても知りたいって思えばどうする?
今だとネットで検索するって言う人がほとんどだろうけど、80年代90年代にそんなものはなかったからね。

でも、調べようと思えば何とかなるもんでね。
直接的で具体的な情報がなくても、間接的な情報でも得れれば、
あとは足を使って動いたら良いだけだと思うんだ。


前にも書いた通り「新宿2丁目」って漠然としたキーワードが分かってさえいればそこに行ったらゲイ雑誌を入手できるなど何かしらの情報を得れる可能性があるってことと同じで。

僅かな情報とこの「切迫感」を胸に抱きながら実際に身体を使って行動する、動いてみるってことだね。

つまりさ、「ゲイの世界」についての具体的な情報を持っていなくても、この「切迫感」があれば情報や距離の格差がある状況を何とかして「ぶち破れた」と思うんだよね。


80年代90年代に「ゲイの世界」に入った人の中には、
この「切迫感」を抱えながら無理やりでも自分の身体を「ゲイの世界」に「ねじ込んだ」人って少なくないと思うんだ。