98年の時点で僕が持っていた「ゲイの世界についての情報」と言えば、


「新宿2丁目というゲイタウンが存在する」
「ゲイ雑誌も存在する」


これくらいだったね。
この2つについては、僕が小学校高学年のときには既に知っていたよ。

なんで知っていたかと言うと、僕の場合の情報源はテレビだね。
テレビのバラエティ番組なんかで、タレントがいわゆる「オカマ」を表すポーズ(右手の甲を左頬にあてる)なんかして「こっちの人?」とか「2丁目の人?」みたいな感じで冗談を言っていたりしてたからね。
この「オカマ」を表すポーズと「2丁目=ゲイの街」っていう認識がゲイ以外の一般の人の共通の認識(その情報が合っているのか間違っているのかは置いといて)に、いつ頃からなったのかはよく分からないのだけれども、少なくても僕が小学校高学年のときにはテレビ番組でも言ってたし、そしてそれを観た子供の間でもそういう認識があったよ。
オカマを表すポーズの意味と2丁目っていうゲイタウンがあるんだってことをね。

テレビでこういうことを放送するのは80年代の初めからあったんだろうけど、僕が小学校高学年の年齢になったときにその冗談の意味が分かるようになったんだろうね。
また80年代末から90年代初頭に僕が小学校高学年のときには、
テレビのバラエティ番組に「2丁目の○○ってお店で働いてまぁ~すぅ~。○○って言いますぅぅ~」みたいな感じでオカマキャラのゲイの人がよく出てたよ。
「笑っていいとも」とか「たけしの元気が出るテレビ」とかそういう番組に。これは子供でも観る時間帯の番組だからね。
「ゲイ雑誌」についてもテレビで同性愛者のドキュメンタリーみたいな番組で1~2秒ゲイ雑誌が映るシーンを見た記憶があるから、それで知ったんだろうね。


前回書いたように、戦後50~60年代に東京でちらほらとゲイバーみたいなオカマバーが出来てきたわけだよね。
ひとつにまとまった動きがあったのではなくて、個人、個人が動いていた時代だよね。
このときはまだ「新宿2丁目」にはゲイバーはないんだよね。

60年代末から70年代になると2丁目にゲイバーが出来て、増え始めるんだよね。
で、ここでちょっと時間が飛んで、
僕が小学校高学年の80年代末~90年代初頭までには、テレビなどメディアの影響で一般の人の認識でも、「2丁目=ゲイの街」っていう認識は出来上がっていたわけだね。
子供でも知っていたくらいだから。

メディアの影響ってすごいよね。
今と違ってさ、特にテレビは80年代はテレビ黄金時代だったからね。
今は若い人は昔に比べてテレビ観ない時代だからね。観るとしてもオリンピックとかサッカーくらいだよね。高齢者はネットしないからまだテレビ依存率が高いようだけど。本当に誰もテレビ観なくなったよね。

僕自身は子供の頃、「テレビっ子」って言えるほどテレビ好きだったけど(テレビっ子って表現ももはや死語だろうな)

90年代後半からだんだんテレビを見る機会が減ってきて、2000年以降は全く観なくなったな。でも80年代は「テレビしか観ない」時代だったんだよね。今とは比べ物にならないくらいの影響力があったんだよね。


テレビの影響力って話で有名なのは、
「Hする」って言葉はタレントの明石家さんまが作ったんだよね。

それまでは、Hっていうのは漫画なんかでよく使われていて「いやらしいこと」や「すけべ」を意味していただけだったんだよね。それをさんまさんがテレビ番組で「セックスした」っていう表現を直接「セックス」という言葉を使うわけにはいかなかったので、「Hした」って言葉を作ったんだよね。つまり「H」に「セックス」っていう意味を与えたのはさんまさんだったんだよな。
今では当たり前のように使ってるけどね。
「ねぇねぇ Hする?」みたいにさ。


こういう感じで日常使う言葉なんかもテレビの影響があったわけだよね。
テレビで放映することによってある情報が一気に広まったり、またみんなよくテレビを観ていたからタレントの言葉使いやファッションもかなりの影響力があったんだね。


テレビの影響力を考えるときに
「2丁目=ゲイの街」っていう世間一般の人も知っている認識もこのテレビが広めたと思うんだよな。