それで、大人になってゲイの世界に足を踏み入れるわけだね。
「ゲイの世界でHIV感染が多い」っていう認識がある上で、ゲイの世界に入るわけだ。

ゲイの人で、そういう認識ない人っていないよね。これは差別発言にも繋がるから、あまり世間ではもう言わなくなってるけど、事実としてHIV感染者における同性愛者の数って多いからね。
ゲイ自身もそう認識してるし。


いろいろなゲイの活動ってあるけど、いろんな人と友達になったり、話をしたり、一緒に遊びに行ったり。そういう楽しいコミュニケーションはいっぱいあるけど。

その中でHIVに関係してくることは、やっぱり性行為関係のことだね。
特に、「出会い系サイト」と「ハッテン場」というところ。
ここがHIV感染に大いに関係してくることは誰も異論を挟まないところだと思うんだよね。

このさ、「ゲイの世界でHIV感染が多い」っていう認識が自分の中にある上で、こういう所で人と会って性行為をするわけだよね。

でも、ほとんどのゲイの人って、こういうところで人と会ってHしてるときも、
HIVについてはどこか「遠い存在」に思ってるんだよね。

なんだろうね、これは。
自分の認識としては自分が関わっているこのごく狭い世界では「HIV感染が多い」と分かっているくせに、いざ自分がHするときはどこか「遠い存在」と思ってしまっているんだね。


だから、「正しくコンドームを使いましょう」っていうのがここのテーマではないんだよ。
ここのテーマは「恐怖」についてだからね。

つまり、ゲイの世界に入る前から「HIVについて認識」があるにもかかわらずに、
HIV感染の可能性がこの国で一番高いと思われるそういう所で、性行為をするわけだ。
自分からは「遠い存在」として、Hするときは意識していないか、意識していても出来るだけ
考えないようにするんだね。怖いからね。

それがいざHIV検査を受けようとすると、今までのゲイとしてのセックスライフの全ての経験や記憶とかそういうものが一気に襲ってくるわけだ。

これはかなり怖いよ。
自分で自分の過去にやってしまったことを思い返す作業が入ってくるから。

過去を思い返すことって、ある過去の記憶によっては苦痛であったりもするわけで。
しかも、その性行為をしているときは、楽しく嬉々とした表情でやってるわけで。

それを後から、HIV検査を受けようとするときに、
今度は「性行為による感染可能性」って側面からその記憶を眺めるわけでね。

どうするよ?この記憶を探る作業って、かなりきつい感じしない?
僕はこの作業はけっこう辛いものだと思うんだ。完全に孤独だしね。
そんな記憶の作業なんかしてたら、もし恋人がいる人が恋人と会話しているときでも、
なんか「うわの空」みたいな感じになるだろうね。

その記憶のなかでセックスの相手が分かる記憶もあるし、セックスの内容は覚えているけど相手が誰なのかは知らないっていうそういうセックスもあるよね。ゲイは特にね。
刹那的(せつなてき)なセックスライフしている人が多いから。


ゲイが10代の頃から自分の中で元から持っているHIVについての「根本的な恐怖・認識」があって、それはHIVについてはどこか「遠い存在」なんだけれど、
大人になっていろいろな性行為を経験した後に、HIV検査を受けようと考えるときに、
その「遠い存在」と思っていたものが、
「もしかしたら自分の近くに居たんじゃないか」と感じてしまう恐怖。


自分の背後に居てるのではないかと思ってしまっても、怖くて後ろを振り向けない恐怖。
もう学校卒業して何年か経ってるのに、あのときのあの授業で言ってたことが、まさか今自分に・・・。

この社会の中で生活をしながら、ゲイライフみたいなこともして、
ある日誰にも言えずに孤独に、こういう恐怖を感じたら


こんな状態で、自分からHIV検査なんて行けるのだろうか。