この「さらされる恐怖」を漠然と感じてしまうけど、本当にHIV検査で「さらされる」のかというとそんなことはない。
まぁ実際はさ、HIV検査は個人のプライバーにかなり配慮してくれているからさ。
この「さらされる恐怖」は単なる妄想でしかないのだけれどもね。
それでも、検査慣れしてない限り、検査受けるのはなんか嫌だなって思うよね。

頭で分かっていることと、実際に身体を動かして行動することは違うからね。
そういう自分が恐怖を抱く場所には、なかなか行く勇気はないわな。

HIVに陽性だった場合には、専門医の適切な検査や診察だけでなく、ソーシャルワーカーなどによる各種の保険などの手続きの説明や心のケアまでしてくれるみたいでね。
各種検査代や薬代なども、国から補助が出るからほとんどタダ同然みたいだし、こんなこと言ったら怒られそうだけど、いわゆる「いたれり、つくせり」状態のような気もするね。万全の体制でHIV陽性者をサポートしてくれるわけだね。HIV治療においては日本は良い国だね、ほんとに。


だけれど、HIV検査は自分から積極的に受けに行かないといけないわけだ。
受けるまでの心のケアやサポートなどないよ。まぁ検査相談とかはあるけど。
そういう相談に行くこと自体がしんどい感じがするけどね。
相談に行けるならHIV検査にも行けるだろって思うけど。

ここはもう基本的には自分でどうにかするしかないよな。
怖いけどさ。




さて、「根本的な恐怖」で「ゲイだから感じる恐怖」について
もうひとつだけ触れようか。

ゲイにとってHIVという感染症への「近さ」、「距離」の問題があるよね。

まずはね、僕の個人的な経験で言えばさ、
中学校のときに保健体育の授業でほんの10分ほどHIVについて説明があったよ。

そのときの説明ではね、「日本では血友病の人が血液製剤によって感染することが多かったんだ。
でも今は同性愛者の感染者が多いんだよ」みたいな説明だったよ。

中学生だったから、もう射精は自分でやってる時期だよね。
それでだいたいその時期に、自分のセクシュアリティを自分自身で認識できるよね。
自分でそれを受け入れるかどうかは別として。

じゃあその授業のときに、「自分がゲイなら、将来ゲイライフみたいなことをして男とHしてHIVに感染するのかな」って自分の身に置き換えて考えたかというと、そうは思わないよね。

何か「遠いところ」にある問題みたいな感じに思えたよ。
自分はゲイだけれども、自分とは結びつけずに、遠い遠い問題、自分とは関係ない問題として漠然と怖いって感じただけだったな。

まぁ90年代前半だったから、まだ世間にもHIVについての正しい情報もあまりない時代だったし、
HAART療法もまだ始まってないころだから、HIVは恐怖の対象でしかなかった時代だからね。

結局その授業では「セックスするならコンドームを正しく使いましょう」っていうことが話の中心になって終わっただけだったけど。


中学生だったころの僕には「HIV感染はゲイの世界に多いんだな」っていう認識だけがあったんだ。