さて、この「恐怖」について考えるシリーズ③です。
この「恐怖」について細かく見ていこう

まず、大きく二つに分けようかな。
「HIV検査受けようとしている状態での目前に迫る検査についての恐怖」と
「根本的な恐怖」とに分けて考えていくことにしよう。
この「根本的な恐怖の方」は まだ僕も漠然としていて分かってないので、
「目前に迫る検査についての恐怖」の方から考えようかな。

実際にHIV検査を「この日に受けよう」と考えたときに、何日も前からやっぱり怖いよね。
僕は保健所で検査受けたけど、保健所の検査って検査日が指定されているから、
その指定された日の指定された時間に行かなければいけないんだよな。予約は不要だけど。

「よし、この日にここで検査を受けよう」と決めてから その日になるまでに
タイムラグがあるよね。この期間が怖い。だんだんその日に近づいてくると、
「やっぱやめとこかな」とか「来月にする?」みたいに自分の中で自分に相談するみたいなことを
何度もやったよ、僕はね。よっぽど臆病なのかねw


検査を「どこで受けるのか」は人それぞれ違うだろうし、
「なぜ検査を受けることになったのか」もまた人によって違うと思う。
たとえば、身体の具合が悪くて病院に診察を受けに行って、いろいろ検査等をしたあげく、医師から「念のため、HIV検査受けますか?」って言われる人もいるだろうし、
また普通の病院の普通の診察でそこまでHIV検査を薦める医師もいないだろうから、
自分から「検査して欲しい」という人もいるだろうね。

病院で医師に自分から「HIV検査して欲しい」と言う人って、よっぽど身体の調子が悪く、HIVに感染してるのではないかと何か思い当たるふしがある人か、
検査を過去何度も受けていて「検査慣れ」してる人とか、そういう感じなのかな。

ゲイなら、友達に言われて一緒に検査を受ける人もいるかも知れないね。
最近、毎週決まった曜日に即日検査やってる所もあるみたいで、たとえば付き合いたい人とセックスする前に、二人で一緒に検査受けにいく人とかもいるんだろうな。
その場合、二人のうちどちらかが「検査慣れ」してる人だと思うのだけど。「検査慣れ」してたら、この「目前に迫る検査についての恐怖」はちょっとは薄れてるのかな。
まぁ医学的には早期発見が大事ってことだから、その方が良いのだろうけれど。
医学的な観点ではなくて、心の問題として「検査慣れ」って何かさ、悲しいことなのかも。



さて、ここでは僕は保健所で検査したので、
この保健所での検査を受けるパターンで考えてみることにしましょう。


大雑把な流れを言うと、

①受けようかどうしよかと悩む時期がまずあってそこで感じる恐怖、
②実際「この日に受けよう」と決意してその日が来るまでに感じる恐怖、
③検査受けてから検査結果聞くまでの恐怖(保健所では結果は通常1週間後になるので)



こういう各段階があると思うのだけれども、①~③で「共通している恐怖」はなんだろか。

やっぱり多くの人が考える一番大きな恐怖は
「変わってしまう恐怖」じゃないかな。

漠然とさ、「もし陽性といわれたらどうしよ」と考えて、
それまでの生活や人生が「変わってしまうんじゃないか」と考える恐怖。

これはけっこうみんな考えると思うんだよね。
単に転勤とか転居とか そういう「変わる」って感じじゃなくて、
何か違う世界、違う次元に連れていかれるような、そういう恐怖感かな。

まぁ、良く考えればさ、すでにHIVに感染しているならその検査をすることによって
「変わる」わけじゃなくて、検査で「発覚する」だけなんだけど。

それでも、人ってこの「変わってしまう」っていう漠然とした恐怖感に襲われるんだね。
僕の場合は、臆病だから 事前にネットでいろいろな情報を調べてから検査受けたのだけれど、「検査することによって変わるのではなくて、もうすでに感染しているなら すでに身体はそういう状態なんだから 自分の身体の状態をまず知ろう」って考えて、こういう恐怖は少し和らげたけどね。
まぁ、そういう風に考えを持っていっても怖いのは怖いけれど・・・。



この「目前に迫る検査についての恐怖」を各パーツに分けて
もうちょっとだけ細かく 恐怖の各パーツを見ていこう。