[4月22日付け某SNSの日記の転載]
『自分のリズムで』
ずいぶんと気温が高くなってきて、汗ばむ季節になってきたよね。
家に着いたときが一番暑く感じる。
シャツが汗ばんでジトっと張り付く感じだね。
もうすぐ夏になるのかな。その前にゴールデンウィークがあるなぁ。
ゴールデンウィークと言われても、僕は少し「たじろいで」しまう。
だって、別に何かしらの特別な予定があるわけではないから。
僕にとっては、ただの「大きい間隔の休み」がそこにあるだけなんだ。
「じゃあ何か予定でも作ったら良いじゃない?どっかに旅行に行くとかさ。」
って言われるかも知れないけれど、
今は僕はそういう気分じゃないんだよ。
遊び心全開の「イケイケGoGo」なノリで、過ごそうとスイッチを入れようと思えば入れれるのだけれども、
そういうのに最近は興味ないの。
人生の中でね、自分の内側で積もってきたもの。
自分の中の想い、夢、なりたいもの、行きたい場所ってのが
あるからさ。
僕はそこに行きたいんだよ。たどり着きたいんだよ。
だから、今はいろんなこと、「イケイケGoGo」的なものは自粛してるんだ。
まぁ自粛してるって言っても、我慢してるってわけではなく、
興味の方向がそっちにはもはや向いてないんだよね。
ただ、そういう感じで休みの日を過ごしても、街を歩くと街中の雰囲気が「休みモード」の雰囲気があるよね。
買い物してる若い人やカップルや子供連れの夫婦などなど。
普段の日とは違う、「休みの雰囲気」がそこにはあるよね。
そういう中に入ると、少しだけ、ほんの少しだけだけれど、
僕も少しは「休みの日」の気分になることもあるよ。
もうね、この年齢になるとね、
あまり周囲のものにドキドキワクワクしなくなってくるよ。
いや、しなくなることはないんだけれど、
何て言うか、自分の経験則などによって、心がざわつかなくなるように自分の気持ちを「抑える」んだと思うんだよね。
人々で華やぐ休みの日の街中でも、心がざわつくことなく、静かにゆっくりと珈琲でも飲みながら過ごすことは出来るよ。
ただね、人間ってそう強くもないものだから、
ときどき、心「ざわつく」、「ぐらつく」こともあるよ。
たとえば、休日に街中で子供を連れた若い夫婦が買い物をしている姿を観ると、
「僕と同じくらいの年齢か、あるいは2~3歳若いくらいの夫婦かな」ってぼーと見つめてしまう。
絵に描いたような幸せな家族の休日って感じの光景を目の当たりにすると、
独身者である僕としては、多少、心が「ざわつき」、「ぐらついて」しまう。
どういう「形」であれ、その人が心に「平穏な状態を感じる」ときが、
その人にとっての「幸せの状態」だと思うんだよね。
同性愛者の人にとって、「どういう形」が幸せなことなのか?
それは一概に言えることではないと思うんだ。
人それぞれ、趣味や目指した方向が違うと思うから。
しかしながら、「形」ではなく、心が「平穏な状態」、「自分で平穏さを感じられる心の状態」になることが、その人にとって幸せな何かだということは言えると思うんだよね。
自分の向かうべき先を見つけることは難しい。
ただでさえ、自分が「向かいたい先」が分かっても、そこへたどり着くことは一般の人でも難しいことだ。
しかし、マイノリティの人にとっては、
まず自分の向かうべき先を「見つける」ということが難しいんだと思うんだよね。
華やかな雰囲気の休日の街中を歩くときに、
自分が行きたい場所、向かうべき所が、
自分で見つかっていない、分かっていないと
自分自身を見失ってしまうと思うんだ。
しんどい思いをしたとしても、苦しくても
一歩一歩、自分のリズムで歩いていきたい。
僕はそう思ってます。
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