[2015527日付け某SNSの日記の転載]



『君よ、夢を諦めることなかれ』[一部改訂]





さぁ、今日から暑くなりそうだね。

 大阪は今日、昼間は31度になるらしいよw



もう夏だね。

チ○○もタ○も、暑さでふやけて少しサイズアップしたのかと勘違いしてしまう季節になっていくね。←何の説明やw





ゲイの人ってね、ゲイの世界でいろいろと活動していくでしょ?

 友達を作ったり、Hしたりね。

 最近はネット中心の生活になってきているので、ゲイの世界への「参加」が早くなってきているよね。

2丁目のバーやイベントへ行ったり、出会い系をしたりね。

 今や、高校生、いや中学生でもそういう世界で既に遊んでいる子もいるみたいなんだよね。
スマホなど、ネットを使って簡単に入って来れるようになったからね。



 時代は変わるものなんだね。



しかし、ネットによって、このマイノリティの世界への「入る時期」が早くなったとしても、
今も昔も変わらない部分がある。





それは、人の本質に関わる部分だと思うんだよね。



ゲイというのはやはりマイノリティとしての存在なので、どうしても「隠れて過ごす」「周りに打ち明けない」という状態が伴うわけだね。



まぁ、「俺はカミングアウトしてるよ」って人も増えてるかも知れないけど、やはりほとんどの人は「クローゼット」なんだと思うんだよね。



 「いや、俺は大学のノンケの友達には、言ってるよ」って言う人もいるだろうけど、



 「じゃああなたは昔の中学、高校の友達に言ったのか?家族には言ったのか?」と問われれば、

 急に怪しくなる人が多いと思うんだよね。



それくらい、非常にデリケートでなかなか解決しづらい問題なんだよね。









さて、その「変わらない部分」の副産物として、あるいはそれを抱えているがゆえの「結果」として、

ゲイの人にはある問題、傾向を抱えている人が多いように思われる。





それは隠れてゲイの世界で過ごしてきたからこそ、

 「結果的に身についてしまった」心理みたいなものだろうと思うんだ。





あのさ、「諦めぐせ」ってけっこう身についてる人って多いでしょ?



ゲイの人は何か問題や悩みがあったときに、「一人で考えて処理してしまう」癖がついている人が多いと思うので、

 「自己完結型、自己処理型」の人が多いと思うんだよね。



その結果、「まぁ、しょうがねぇな。ゲイだしな」って感じで、

 「諦める」というか、「妥協する」ことが癖になっていることってあると思うんだよね。





たとえば、出会い系でさ、誰かに出会うとするじゃん?

でも、実際に会ってみると、「写真とぜんぜん違うじゃん!」と思って嫌な気分になったり、

 「恋人が欲しいな」と思っていてバーや出会い系などで誰かと出会っても、

すぐにHして「結局Hだけじゃん」って思うことってあると思うんだよね。

そういうときには、ゲイの人は自分の中で処理してしまうと思うんだ。

 (まぁ今はネットがあるので、ツイッターやラインなどで愚痴を言えるかもしれないけど)



でね、こういう自分の中で知らずに「身につけてしまったもの」ってさ、ゲイの世界で活動する以外の「他の場面」でも影響してくると思うんだよね。



つまりゲイの世界の中での出来事だけでなく、普段の生活、学校や仕事などでも「自己完結、自己処理、諦めぐせ」が出てしまうと思うんだ。



多くのゲイの人は、「ゲイであること」を周囲へ「隠して生きていく」うえで、様々なことを自分の中で「処理して」いく。



たとえば、会社の飲み会などで結婚の話やアイドルグループの話などが出たら、うまく何となく「話を合わせ」たり、他人の話を「聞いているだけ」ってことがあって、そういう具合にノンケぶる感じで日常を過ごすことってあると思う。



そういう「処理」をしていると、自分でも気づかないうちに、

「まぁどうせあれだしな」みたいな感じで、面と向かって問題と対峙することなく「うまくかわす」みたいな感じになってくることってあるのではないかと思うんだ。



そして、そういう「自己処理、自己完結」していく「癖」に
自分自身の人生が影響されてくるようになるのではないだろうか。



つまり、ゲイの人は、誰にも言わずに「処理してきたこと」が多いと思うので、

その負の部分というか、影の部分が、やがて自分の人生に影響を及ぼすのではないだろうか。

それは、「何でも諦める」っていうことではない。

 しかし、何かが欲しい、自分が求めたいもの、なりたい自分の姿ってものがあっても、

それが手に入らないものだと分かっていると、

いったん自分の中で「処理してしまう」。

そして、その思考の繰り返しが、「諦め癖」という形で
自分の考えや思想の根底みたいなものを形作るようになってくるのかも知れない。





そうやって形作られた、考えや思考の結果として、僕たちは日々を過ごしている。





 「それがどうしたんだ? え?それはそれで良いじゃねぇか!それが大人になったってことだろ!」
って言う人もいるかも知れない。






だけれども、子供の頃、まだゲイの世界なんて自分が属するとは思っていなかった頃、


明日への希望に胸を膨らませていた頃、



そういう自分の昔のことを思い出してみれば、こう思うんだ。








 
「自己完結、自己処理」して、うまく現実と「折り合い」をつけることだけが、
昔、夢を描いた自分の未来の姿だっただろうか?









バカなことかも知れない。



だけれども、敢えて言おう。




 
君よ、夢を諦めることなかれ、と。