HIV検査行くことに悩んでいて怖いと感じてしまうなら
なんで怖いのか、何が怖いのかという、この「恐怖」について「認識」することが次のステップに進む有効な方法かもね。

他の手としては、この感じてしまう「恐怖」をさらに上回る「恐怖」を感じることだね。
その上回る「恐怖」とは、いわゆる「放っておいたら大変なことになりますよ」的な情報に触れることだね。



中学校のときの保健体育の授業で使っていたテキストには
「HIVウィルスによってヘルパーT細胞が破壊され、免疫不全に陥る」って書いてあったと記憶しているんだ。

ヘルパーT細胞っていわゆるCD4リンパ球のことを言っていたんだろうね。
この細胞は他の免疫系の細胞に指令を出す役割をしているんだね。

このCD4リンパ球ってよく「指揮官」に例えられるよね。指示を受ける他の免疫系の細胞が「隊員」みたいなものかね。
HIVウィルスはこの「指揮官」を破壊していくんだね。

90年代までのHIVについての一般的な人の知識は、「とりあえず免疫系が破壊されるんだろ」ってことと、
漠然と「10年くらいで発症するんだろ」っていうようなレベルだったと思うんだ。
ここにプラスして「不治の病」っていう怖いイメージを持っていたんだね。

だからみんなあまりよく調べたり、考えたりせずに「怖いね、嫌だね」って自分から「遠い存在」として
自分の中で処理していたんだね。

ゲイでもさ、怖いからあんまりよく調べたりはしてないのに、HIVについて漠然とした怖さだけは持っていたんだよね。

だから、「もし自分がHIVに感染していたら」とふと考えても、
「なったときはなったときで、そのときに考えよう。どうせ10年後だろ、おかしくなるのは」みたいな感じで適当に考える人が多かったと思うんだ。
怖いからあまり詳しく調べないでね。
何か自分の身体に時限爆弾が埋め込まれていて10年後に爆破がセットされてるようなそういうイメージを持った人が多かったんじゃないかな。


でもそうじゃないんだよな。
「感染して10年後に身体がおかしくなっていく」っていうのは間違っていて、
HIVウィルスに感染した直後からこのCD4リンパ球は破壊され始めていくわけだ。
徐々にちょっとずつ破壊されていくんだね。
この免疫系の「指揮官」の役目を果たすCD4が破壊されていくと、後は「隊員」だけになるから何も出来ないんだよね。免疫機能が正常な状態では、身体に入ってきてもたいした症状が出ないような感染症を起こすウィルスにまで、CD4が破壊されまくった状態では免疫機能が対処できなくて簡単に症状が出てしまうんだね。
この症状が出た段階をエイズ発症というんだね。そしてこの感染症を「日和見(ひよりみ)感染症」と言い、また厚生労働省では23種の「エイズ発症」としての指標疾患の基準を設けているんだね。

血液の中のこのCD4リンパ球の数は1立法ミリメートルあたり(1辺 1 mm の立方体の体積あたり)に通常は700~1500くらいあって、HIVに感染すると徐々に破壊され減り始めるんだね。
この数値が200を切ると、一気に「日和見感染症」に感染して症状が出てしまう危険が増大するようだ。
どんな症状が出るかは、その人の体質や持病により人それぞれ違うらしい。
「HIV消耗症候群」って言って単に衰弱し痩せるだけで他はなにもない人もいれば、重い感染症にかかる人もいるんだね。

現在のHIV治療においては、確かにまだ「完治できない」ので、
そういう意味では「不治の病」ではあるんだけれど、
HAART療法によりHIVウィルスをかなり「コントロールできる状態」になっているようだね。

だけど、HIV感染の発覚が遅く、エイズを発症させた段階でHIVに感染していることが判明するパターンでは問題がある場合もあるようだね。

まず罹った日和見感染症を治して、HAART療法を行って、HIVウィルスを抑制し破壊されたCD4リンパ球を回復させても(すごいね。HAART療法って免疫機能を回復させることが出来るんだね。)
日和見感染症にかかった結果、後遺症が残っていればその症状との闘いになるわけだね。

HIVとの闘いというよりは後遺症との闘いになるわけだね。
一番怖いのは悪性のガンや重い脳症が残ることだね。
だから「早期発見が大事」となるわけだね。

こういう「放っておいたら大変なことになりますよ」的な情報に触れて、恐怖を感じて
「それだったらもし感染してるのなら、早く治療を開始したほうがいいな」って思って、
「あせる」というかそういう感じで検査を受けに行くのも良いのかも知れないね。




HIV検査を受けようかどうしようか悩んでいるのなら
自分が感じる「恐怖」について「認識」する方法か、その「恐怖」を「上回る恐怖」を感じて検査に行こうとする方法か、どちらでも良いと思うけど。
でも「認識」する方法も、そういう「上回る恐怖」を感じる情報に触れる方法でも
どちらの方法にしてもそれをやるには勇気が必要だと思うんだ。
その一歩を踏み出す勇気があるかどうか、そこが一番の問題なのかも知れないね。




さて、この「恐怖」についてのシリーズを考えてきて、僕なりにこの「恐怖」の正体がだんだん分かってきた。
だけれども、僕には釈然としないモヤモヤした思いがまだあるんだよ。



先日、気づいたことがある。



ここからはそれについて書こうと思うんだ。
ここからは僕個人の感情や過去についての話になるよ。
あっ 興味のない人は読まないでね。