こんばんは。

ゲイ的哲学①②で書いた通り、
僕は先週HIV検査に行き 今週結果を聞きに行きました。


検査を受けてみようと考えた時から 検査結果を聞くまでのこの数週間は
ものすごい恐怖に怯え、いろいろ考えた数週間でした。


ゲイ的哲学①で書いたとおり
この「恐怖」について考えていきたいと思っています。
(検査結果聞いたばかりなので、考えたことをブログにアップしていくのは来週以降に
なると思います。今週はいろいろ考えすぎて少し疲れたので。)




テーマは『この「恐怖」について考える』

と、しましょう。



どういう種類、あるいは段階の「恐怖」かという 定義は
 
HIV検査を受けること についての恐怖
ゲイにとってのHIV検査を考えること についての恐怖
あるいは ゲイにとっての HIVと自己との関係 においての漠然とした恐怖

こういう「恐怖」について考えていきたいと思っています。


(HIV自体についての恐怖ではありません。それは他の方がHIVについて啓発しているブログや
医療関係の方のHPなどを見てください。)


要は 僕のように 「HIV検査を受ける」という行為だけで考えてしまう「恐怖」について
考えたいということです。
僕はかなり臆病なので 漠然としたこの「恐怖」に支配されてきました。
この「恐怖」について 「これはいったい何なんだ?」ということを考えたいと思っています。




さて、僕もいろいろとやる事がありまして、時間があるときに
この「恐怖」について考えて、書いた時点でアップしていきたいと思います。
(何か偉そうで、すみませんm(_ _)m)



この夏の 僕の中のひとつの課題として考えていきたい と考えています。
何か、夏休みの宿題のようで 学生以来の感じですねw


(まあ僕は学者でも医療関係者でもないので、たいしたことは書けませんが
もし、読んでいただいた方で 「こういう風に考えたら良いんじゃないかな」とか
「それはこうじゃないかな」等のご意見、ご指摘がありましたら。
メッセージ等でご教授頂けると有り難いです。)




この夏の僕の課題に もしお付き合い頂けるようでしたら

どうぞ 宜しくお願い致します。




今日は疲れたので おやすみなさい。