こんばんは!お久しぶりです。
もう10月中旬ですね~。少し肌寒くなってきましたね。
すぐに11月になり、年末になって今年も終わるんでしょうなぁ。
早いなぁ。
年々、一年が過ぎる時間的な感覚が早くなってきてる気がしますわっ。
さて、ブログですね~、基本的には今は新しい記事を書くつもりはなかったんですけどね・・・汗
僕のブログが今、どういう状態なのかを確認しましょう。
まず、僕は「何かテーマを決めて書きたい」っていう想いがあるんですよね。
で、たとえば今まで書いてきた「この恐怖について考える」シリーズとかね、
ああいう感じで書こうと思ってるんですけどね。
でもまぁブログを書くことだけに日々の時間を使えるわけではないので、
ちょっと今は、何かの「テーマ」について大きく書くということは時間的に厳しいんですよね。
書き出すとさ、僕はそれに集中してしまう癖があってさ、
「書く」って作業だけでなく、書き始めるまでの「考える」って作業にも時間を使うし、
書いた「後」も色々と考えてしまうんだよね。
そういう意味で、すごく精神的な労力というか、のめりこみというか、
そういうものが必要でね。
まぁブログタイトルに「哲学」って書いている以上は、それなりにちゃんとしたものを書きたいし、
読んだ人がしばらくショック状態になるようなものを書きたい、
いや、書かないと僕のブログは存在価値がない、というような気構えを持っていてね。
ただ、書き出すと、僕自身の気が重くなって、ショック状態になるのでww
←「ミイラ盗りがミイラになる」ってかw
そういえば「ヨースケ・ミライ」って「ミイラ」に見えるよな ←うるさいっw(初の2段階ツッコミ)
今はね、僕は自分自身で目標があってさ、そっちに時間と労力を使わないといけないってのがあってね、
ブログの更新(本格的にテーマを決めて書く)はお休みさせて頂いております。
あんまりのめり込むと心のバランスが崩れるとよくないからね。
だから、更新していなくても、僕は絶好調で過ごしてますよ!
もうチ○○も勃・・・ ←それ以上、言わせねぇよっw |x・`)チラッ
ただ、更新してなくても、僕のこのブログへ更新を確認するためか、アクセスしてくれている人がいたり、
新たにこのブログを知って入ってきたであろうと思われる人などがいたりしてね、一日にけっこうアクセス数はあるんだよね。
それで、申し訳ないので、月1回くらいは更新しようってわけで、
今は月イチ更新をさせて頂いております。m(__)m
ただ、新しい記事を書くつもりはなくて、某SNSで書いた日記を転載する形でブログの更新をしようと思ってたんですが・・・。
某SNSが突然の閉鎖で転載する日記を書いていないという事態になってしまいましたあ嗚呼ああああああーーーーww。・゚゚・(>д<;)・゚゚・。
で、まぁそういうわけでして、今回から月イチで単発モノの記事を書こうと思ってます。
まぁ目標を達成して時間が出来たら、また「テーマ」を決めて書いていきたいと思ってますよ。
書きたいことはいっぱいあるんだけどね。
なんだか、ややこしい説明になってしまったな・・・汗w
なんだかなぁ。(´Д`) by阿藤快 ←阿藤快出すのは、よしなさいっw
お、なんだか、今日は調子が良いなw ←ギャグについて調子良いってどういうことだよっw
さてさて、そろそろ寒い季節に入ってきましたね。
冬になっていくにつれ日が沈むのも早くなり、夕方にもなると、どこか心細さを感じるような季節になっていくよね。
開放的な夏とは違って、冬は気温が寒いので、身体が内側へ縮こまり、そして心までも内側にこもりがちになってしまうよね。
ただ、年末に向かうこの時期になると、いろんな意味で日々が過ぎる速度が急激に上がっていく感じがして、何て言うか、周りも自分も怒涛のごとく年末に向かっていく、そこへ吸い込まれていく、っていうようなそんな感じで、どこか「ふわふわ」とした感じで過ごすことが多いよね。
とくに12月になると、より一層そんな感じになるよね。
そして、年末に向けて飲み会なども増えてくるよね。
大きい会社だと、全体の飲み会、所属チームの飲み会、若い人だけの飲み会、それに会社とは関係ない友達との飲み会などなど、いっぱいあるよね。
会社の飲み会ってさ、普段は聞けない、喋らないような私生活上のことなんかの話をするよね。
特に僕なんかだと、もう30代なので、「○○君、結婚は考えてないの?」とかそういう話をされたりするよ。
20代前半くらいの頃はさ、「○○君、彼女いるの?」って感じで付き合ってる恋人がいるかどうかを聞かれることが多かったな。
また会社の若い子だけの飲み会(男子だけの)でも、恋愛話やA○Bなどのアイドルグループやグラビアアイドルの話などをするよね。
アイドルの話をされてもさ、あんまり興味がないからよく分からないよね。
イケメン俳優の話ならナンボでも出来そうなのにね・・(笑)
ノンケ君だったらさ、単に「A○Bの誰それが好き」ってだけでなく、
「誰それは恋人にしたいタイプだな。誰それは、セ○フレタイプだな、誰それは不倫関係になるようなタイプだな」って感じで、
アイドルの子を使って、勝手にイメージプレイのような妄想のようなことを言ってさ、
「お前は誰が好きよ?恋人なら誰よ?」とか言い合いながら、楽しんで会話したりするよね。
ゲイの人ってさ、そういう会話には積極的に入っていけずにさ、
たとえば「誰が好きよ?」って聞かれても、
「う~ん、あんまり最近のアイドルはよく知らないんだよね」って感じで逃げるよね。
まぁゲイの人の中のオネエ的なキャラの人は性的にアイドルに興味はなくても、
なぜかアイドル好きっていう人もいて(マ○コデラックスなどもアイドルとか女子アナに詳しいものね)、
「違う意味、違うノリ」でそういう会話に参加できる人もいるかも知れないけれど、
ほとんどのゲイの人はそういう会話には積極的に参加できず、
常に「受け身」の状態で、会話を「流しながら」聞くしかないよね。
あるいは、恋人がいるかどうかについて聞かれたりすると、
付き合ってる彼氏がいても「今はいないよ」って答えることもあるだろうし、
「彼氏を彼女に置き換えて」しゃべることもあると思うんだよね。
意外にさ、「彼氏を彼女に置き換えて」しゃべるってのは、難しいようにみえて実は簡単なんだよね。
置き換えてしゃべるだけでいいから。
ただ、「一緒にスーパー銭湯に行った」っていうようなことは言えないよね。
それは男どうしだからこそ、一緒に銭湯に入れるわけで、男女だと一緒には銭湯に入れないからね。
そういう意味では、「置き換えて」しゃべるのは簡単だけれど、
「常に」バレないように「気を遣って」しゃべらないといけないわけだよね。
楽しいはずの飲み会なんだけれど、どこか心の中に「バリアを張ってる」というか、
「身構えている」というか、そんな感じでゲイの人は飲み会を過ごすことってあると思う。
そして、「飲み会がやっと終わった~」と思っていても、
後輩から、2次会として「先輩、今からキャバクラとかどうすか?」とか「風俗に行かないっすか?」とか誘われたりしてw
「いやぁ~、あんまりそういうのには興味ないから」とか「今日はちょっと用事があるんだよ」とか言い訳しながら断ったりするのも大変だよね。
アイドルグループなどの話にも積極的に参加せず、また風俗やキャバクラなどの誘いにもノリ気にならない人は、たいがいゲイだと思うんだよなw
絶対そうだとは言わないけれど、大方8割くらいはそうだと思うんだよねw
そ、そんな決め付け方していいんですか!!
「いいんです!!」 by川平慈英 風 ←川平慈英も出すのは、よしなさいっw
なんか、何の話をしてたか分からなくなってきたな。←阿藤快とか慈英を出すからだろっw
で、そんな感じで、会社の人との本心を語らない会話を、「飲み会の席」でもするわけなんだよな。
本来なら、飲み会ってさ、普段は仕事の話しかしない関係でも、そういう場だけはプライベートのことなどを、本音を交えて、楽しくしゃべったりする場なんだよね。
でも、ゲイの人はそれができない。
ノンケの人が、昔の恋愛話やHした話、失敗談や嫌だったことなどを楽しそうに話したりしても、
自分がその席に座っていても、どこか遠い世界の出来事のような感覚で、
自分がそこに所属していないような感覚で過ごさなくてはならないんだよね。
嫌だったことや、失敗談も、時間が経てば、笑い話に出来ることもある。
そういう感じで明るく楽しく、昔のことなどをしゃべっているノンケの人たちを横で眺めながら、その人たちにある種の爽やかさを感じながらも、
自分は檻にこまったように、バリアを張りながら、どこか緊張した神経を張りながら、
会話をそらしたり、ごまかしたり、愛想笑いをしたりしながら過ごしてしまう。
そして、そういう飲み会が終わって、そこから「解放された」ときには、
「ふぅぅ~」っと、なぜか落ち着いたように息を吐いて、
自分の世界を、本来の自分を取り戻すかのような心の作業をしくてはいけないんだよな。
ノンケの人に話を合わせなくてはならないストレスや、
そこから解放された安堵感からか、そこからそのままハッテン場などに行く人もいるかも知れないね。
まさに、「飲み会からのハッテン場直行コース」って感じだな。 ←そのネーミング、よしなさいっw
ね、スーツのままハッテン場に行って、ロッカーで着替えて、バスタオルを腰に巻いて、シャワーを浴びに行って、そのまま布団が敷いてある部屋に行ってゴロンってなって、お酒飲んで少し酔っ払ってるので、良い気分の状態でうつらうつらしてるときに、お触りされたり、口でされたりして・・・。
そういうのが超気持ち良いっす!!っていう人もいるかも知れないね。
←そういう具体的な流れを言うのはよしなさい、よしなさいっww
まぁ、いわゆる、「日常の嘘で塗り固めた状態から解放されて、まとっている鎧を脱ぎ捨てて、自分自身を裸の状態に出来る」感覚を味わうために、そういうことが癖になっている人ってけっこういるんじゃないかな。
考えてみれば、ゲイの世界での恋愛やHの話なんて、ゲイバーなどですることはあっても、日常ではほとんどしないよね。
それにゲイバーでそういう話を毎回するわけじゃないだろうし、恋人どうしでも、具体的な過去の恋愛話ってあまりしないかもしれないね。
今だったら、ネットがあるからツイッターやブログで、恋愛話や失恋話、Hした話や失敗談などを書けるだろうけどね。
それらが、どこまで、実際に飲み会などで「人に対して喋る、語る」ことと同じくらいまでの意味、同じようなレベルの効果を持ちえるだろうか。
単にネット上で、「今日はHして楽しかった」「こういうヤツに会って嫌だった」などを書いたとしても、自分の中でその体験をどこまで「消化できる」だろうか。
あるいはそういう風にネット上に書くことをやっていても、日常で学校や会社などで自分では気づかないうちに受けるストレスによって、ツイッターやブログ上とは「別の顔」として、ハッテン場などで刹那的な行為をしてる人もいるのではないだろうか。
真夜中は別の顔として。
思えば、僕も若い頃には色々な人に出会った。
そして、いろいろとHをしたり、付き合ったりもした。
もちろん、恋愛話など、自分の中で大切にしたいものもある。
あるいは、なんだかよく分からないような、まるで「若気の至り」というような、
そんなホロ苦い感じのする思い出もある。
また、別に大切にしたいような思い出ではないけれど、今でもときどき思い出してしまう過去の出来事もある。
前に書いたように、僕は19歳からゲイの世界である堂山で遊びだした。
90年代末の当時では、20歳前後で、堂山で遊んでいる子は非常に少なかったんだよね。
今はネットがあるから、中学高校生でもスマホなどでゲイの世界へ簡単にアクセスし、また実際にそこへ遊びに出掛ける子も多いだろうね。
でも90年代まで、ゲイの人が「ゲイの世界」へデビューする年齢って非常に高くて、20代後半、もはや30歳近くになって初めて「ゲイの世界」へデビューして、初体験をする人ってけっこう多く居たんだよね。
その中で19歳だった僕は非常にめずらしい存在だったようで、めずらしいというか、若すぎて周りから少し浮いたような存在だったかも知れないな。
僕と同じような10代、20代前半くらいの子が堂山に他にいなかったわけではないけれど、今と違って、非常にその数が少なかったんだよね。
東京の新宿2丁目なら一般的にもその場所がどういう所かというのが有名だから、その周辺で生活しているゲイの人は、他の地域のゲイの人と違って早めにその世界へ入れただろうけど、
大阪の堂山は、ネットが主流じゃなかった時代には、ゲイの街ということを知っている人は一般的にもゲイの人(デビューしていないゲイの人)でも少なく、なかなかデビューする機会がなかった時代だったんだよね。
だから、僕と同じような年齢の子とはあまり交流したことはなくて、ゲイバーなんかで僕と同じような若い子が誰かと遊びに来ているのを、「ああ、僕くらいの年齢の子だな」とちらりと横目で確認することはあっても直接話したりするようなことはあまりなかったよ。
(詳しくは「90年代までの入り方」の記事を読んで下さい。)
まぁそういう時代だったから、僕がゲイバーで話しをしたり、遊んだりするのはたいがい年上の人が多かったな。
僕がゲイの世界へ入って間もない頃、ゲイバーで知り合ったサラリーマンの人がいた。
まぁ僕は当時ゲイバーに入り浸ったり、ゲイバーでお手伝いなどをしていたので、いろんな人とすぐに知り合いになっていたんだよね。
その人は、ちょうど「今年40歳になった」と言っていた。
普段はね、金曜日などに仕事帰りのスーツ姿のままゲイバーに呑みに来ている人で、
仕事の話やスポーツジムでの筋トレの話などをする人だった。
若いときはスリム体型だったみたいだけれど、30代からスポーツジムで筋トレしてガッチリした体型になったようなんだよね。
何回かゲイバーで会ったときに「今度の休みの日に遊ぼうよ」って誘われて、僕はその人と土曜日に遊ぶことになったんだよね。
少し暑くなってきた6月末くらいか7月くらいの時期だったと思うのけれど、とりあえず昼過ぎに堂山で会う約束をしたんだよね。
いつもはゲイバーでスーツ姿のときしか観たことなかったけど、その時は夏だったのでその人はハーフパンツにTシャツ、それにキャップ帽をかぶって来ていたんだよね。
彼はスポーツジムに通っていたので、なかなかのマッチョな体型をした人だったんだよね。体操選手みたいにキレイな筋肉のマッチョ体型の人だったよ。
彼は40歳になったばかりだったけど、身体を鍛えているせいか、30代前半~半ばくらいの若々しい感じのする人だった。
まぁ特に私服だと余計に若い感じがして、少し歳の離れたお兄さんのような印象だったんだ。
僕としては、彼の印象は悪くはなかったけど、歳が離れているのでその人と恋愛したいとは思わなかった。
で、「カラオケでも行く?」って言われたので、「はい、いいっすよ」って感じでカラオケに一緒に行ったんだよね。
堂山町の中にある、一般の人向けのカラオケ屋に入ったんだけれど、カラオケルームに入ってソファに座って、曲の本を観ながら歌う曲を選んでいるときに、その人は僕に密接するように座って、腕を僕の肩に回して座ったんだよね。
そして、僕がちょっと恥ずかしそうな顔をすると、ゆっくり顔を近づけてきていきなりキスしてきたんだよな。
早い。今考えると、相当早いよなww
ゲイの人って、よく出会ってからHするまでの時間が一般の男女のそれよりも「早い、短い」って言われるけど、その時はこの世界の最短時間じゃねぇかって言うくらいに、突然、いきなりキスされたわけなんだよな。
まだ1曲も歌ってないのに。
たださ、普通だったら「何するんですか!」ってゲイビみたいなセリフを言うかもしれないけどさ。
「何するんですか!」「いいじゃねぇか、あ、おめぇもうこんなになって。けっこう感じてるじゃねぇか」みたいな感じで、安っぽい下手なドラマのようなセリフを言いながらHしていくゲイビってあるけどさw
僕は10代で性欲たっぷりだったし、その人のことも、恋愛する気はないけれど、マッチョだしまぁまぁかっこいい感じだったので、いきなりキスされたのには驚いたけれど、抵抗することなく、キスされて少しボーっとしたような、うっとりしたような感じになって、そのまま数分の間キスして、何曲か歌ってから、その人の家に行くことになったんだよね。
まぁ何て言うのか、10代や20代前半という年齢はさ、特に社会人になる前はさ、
大人びて、背伸びして物事を考えるときもあるけれど、たいがいは「何か面白いことがないかな、起こらないかな」っていうようなことを考えたり、自分の興味があることに吸い寄せられるように行動してしまう傾向ってあるよね。
「ま、いいっか」的な感じで、あまり深く考えずにその場のノリで行動することってあると思うんだよな。たとえば、バイトが終わって疲れていても、友達から誘いがあればホイホイと付いて行く感じ。
あるいはまた、年上の人に「引っ張られる」「影響されやすい」っていうような傾向もあると思う。
たとえば、バイトの面接なんかでも店長みたいな人の前に座って話しをするときに、緊張してうまく言いたいことは言えないんだけど、店長の言うことに引っ張られて、
「はい、そうっすね」ばかり言って、普段は見せないような、はにかんだようなシャイな笑顔ばかりしてしまったりしてw 爽やかだね!なんて言われたりしてw
10代や20代前半の頃ってそんな感じだからさ、僕はいきなりキスされるような多少、戸惑うようなことがあっても、「ま、いいっか」みたいな感じでホイホイ付いていってしまったんだよな。
それに僕は大学生だったけど、ほとんど学校には行かずに、毎日のように堂山で遊んでいるような子だったからね。
それに遊びに誘われたときも、「この人とHしてしまう展開になるのかな」とはチラっとは思ってたしw
まぁだから、その後に、その人の家(ワンルームの賃貸マンション)に行ってHしてしまったけどね。
堂山から2つくらい駅をはさんだ大阪市内にあった賃貸マンションだったけど、部屋の中はキレイに整理整頓されていたよ。
ただ、独身の人の部屋なので、ベッドとテレビやビデオやら本棚やらクローゼットなどだけで、やっぱりどこか「一人で暮らしている」ってのが感じられる雰囲気の部屋だったね。
10代の子って、友達の家などに遊びにいくことはあるけれど、年上の(それもかなり上の)社会人の人の部屋って観たことがあまりないじゃない?
30代40代の人の家とか生活の一般的なイメージってさ、もう既に結婚していて、家庭が会って、子供が居て、犬などを飼ってるとかさ、何かしらワイワイガヤガヤしているようなイメージがあるものね。
でも、そうではなくて、40歳の独身のゲイの人の部屋、確かにキレイにはしているけれど、「必要な物以外は特になにもない」ような部屋。
そういうものを、Hし終わった後に、ゆっくり眺めていると、
まぁHし終わって、性欲がなくなった状態で観て感じることって、普通の状態のときに観て感じることよりも、冷めているというか、そのものだけ直接観て、「ああそうなんだ」って感じで何の感情もなく判断してしまうって感じになってしまうこともあるけれども、
とにかく、何かね、その人の生活のリアルな面に触れたような気がして、
そして、その生活は「自由ではあるけれど、どこかふらふらとしたような」感じに思えて、
「ああ、こんな感じになりたくはないな」って思ってしまったんだよな。
それはね、まぁHするまでの時間的間隔が短く、いきなりキスするという、まるで「焦ったように」「強引に」Hに持っていったようなやり方も問題があるかも知れないけれど、
それだけではなくて、もっと根本的な何かが、僕にそう思わせているような気がしたんだよな。
「90年代までの入り方」で書いたように、とにかく当時は、ネットは技術的にはあったけど、日本ではそれ程普及していなくて、それにネットを繋ぐと言ってもまだまだ電話回線でやる時代だったので、2chのような文字ベースだけの「書き込みスタイル」だけだったので、今のように写真や動画を使ってツイッターやラインなどで、しかも外でスマホを使ってネット出来る時代ではなかったので、ゲイの人の中で既に「ゲイの世界に入った」人でも、横のつながりが今よりも希薄だったんだよね。
今だと、別にゲイバーなどのゲイの世界に足を運ばなくても、たとえば仕事終わりに、スマホを使ってツイッターなどで「今、仕事終わったよ~」「お疲れ様~」みたいな感じのやりとりがゲイの人どうしで出来るものね。
でも、90年代までは、ゲイの世界で活動をしようと思えば、実際にゲイバーなどの「ゲイの世界」へ足を運ばなくてはならなかったんだよね。
そして、そこへ行かなくなると、ゲイの知り合いの人とは疎遠になっていくだけなんだよね。
だから、90年代型のゲイの人って、仕事などの日常をこなしながら、仕事終わりや休日には、日常から解放されたように、ゲイの世界へ遊びに行く。
まるで、そこへ行くことによって、本当の自分のスイッチが「オン」になるような、
本来の自分の感覚が「作動する」ような感じで、
「ゲイの世界」へ遊びに行くって感じだったと思うんだよな。
そのときには、普段ではしないようなこともするし、別の感覚が作動してるので、普段とはキャラが違ったり、普段おとなしい人でも、ノリノリの遊びモードになるんだろうな。
彼も、悪い人ではなかったと思うんだよね。部屋の中もキレイに片付けられていたし、かっこいいと思えるほどのマッチョだったので、普段からジムで真面目に身体を鍛えていたんだろうとは思うんだよね。
また、今と違ってネットがなかったから、ゲイの世界へ入ったとしても、事前にゲイバーや堂山周辺の街の様子などの情報は手に入らなくて、実際に自分で体験しないと分からない時代だったんだよね。
そこで、新しくゲイの世界へ入ってきた、いわゆる新参者で、しかも若い子なら、経験のある年上のゲイの人のHをする絶好のターゲットになるってことが多かったと思うんだよね。
昔はね、今以上に、この世界において「出会う、Hする」ことの「アンマッチ」って多かったんだよね。
「アンマッチ」、つまり、「ズレている」ということ。
たとえば、本当は自分と同じような年齢の子と友達になったり、
恋愛したいのに(普通の男女間で、大学生などがコンパするような感じで)、
そういう人が周りにいないので、年上の人と遊んだりHしたりしてという、アンマッチがけっこう起こっていたんだよね。
今でも、ゲイの世界に入りたての子なら、ネットを使ってでデビューしたとしても、すぐには自分の思い通りの形での交流がなくたとえばツイッターなどのメッセなどで交流してくる年上の人とHしてしまうってこともあるとは思うのだけれども、
昔は、今以上にもっと横のつながりを持つってことが難しかったので、そういうアンマッチってよくあったんだよね。
そういう時代の中で、とくに昔から出会ってからHするまでの時間が短い、この世界で、若い子は、経験のある年上のゲイの人の格好のターゲットによくなってたわけだね。
まぁ、若い子の方も、それはそれで覚悟の上で、この世界に入ってきているので、
さっき書いた、ゲイビのセリフのような「何するんですか!」みたいな展開にはならないよ。
そういう意味では、ピュアな世界では昔からなかったのかも知れない。
しかしながら、10代や20代前半の子は、年上の人に「引っ張られる」「影響されやすい」傾向にはあるけれども、同時に、「傷つきやすい」年代なんだよね。
大人びて、「この世界はそういうものさ」と分かっていても、
やはり現実に目の前に、ありありと人間の隠れた欲望の部分、ズルい部分などに触れたときには、傷つき、そしてまたそういう部分の方にも「引っ張られ」「影響されてしまう」んだよね。
そして、自分もまた、若い子に強引な感じでHするようなことをするようになったり、
ハッテン場で過激な刹那的な行為に溺れていくようになってしまう人もいたと思うんだ。
40歳になったばかりの、外見はマッチョでかっこいい感じのする彼に、
僕は何を感じていたのだろうか。
それは、「周りがしているから自分も同じことをする」「良いじゃん、みんなやってるじゃん」というような、何か自分というものがないような、信念がないような、
「ふらふらとした」ような、芯のあるような内面ではないような、
そんな部分を彼の中に感じたからだと思うんだ。
今でも、ゲイの若い子がこの世界の年上の人と遊んだり、Hしたりするときには、同じようなことを感じるときがあるかも知れない。
歳の割には若く見える、姿形や、表面上はかっこいい兄さん的な人でも、
何か、「反面教師てきなもの」を感じたり、「情けなさ」を感じたりするときがあるんじゃないだろうか。
しかし、それは年上のその人のことを単に、「良い、悪い」ということを判断したいものではないんだと思うんだ。
その人の中に、人間の汚い部分や弱さ、ふらふらした部分などを見たり感じたりすることによって、
「反射的に」、自分の姿を、
あるいは自分が今やっていることの線上の先にあるもの、
そういうものを自分の中に漠然と感じてしまうんだと思うんだ。
だから、「ああいう風にはなりたくないな」と思うのではないだろうか。
つまり、異性ではなく、同性どうしなので、
自分に近い存在として、自分の中にも同じようにある相手の性質を、
まるで鏡に映った将来の自己の姿を観てしまうように、反射投影的に観てしまうってことだろうと思うんだ。
彼とはその後、メールを何回かやりとりしたとは思うけれども、会って遊ぶことはなく、
次第にメールはお互いにしなくなった。
その後、何回かゲイバーで彼が誰かと一緒に飲みに来ている場面に出くわして、お互いに軽く会釈くらいするときもあったけれど、それくらいで、その後彼とは会わなくなった。
しかし、僕は数年に一度くらい、ときどきふいに、この年上の彼との出来事を思い出すときがある。
そして、そのときしばらく物思いにふけってしまうんだ。
それは、体型や年齢のことではなく、また相手についてのどうこうと判断したいということでもなく、
彼について思い出すときに、反射的に自分の中に観た自分自身の姿、
自分の「生きかた」に関わってくる、自分の中の本質的な何かを観ているんだろうと思うんだ。
そしてまた、物思いにふけりながらも、こうも思うんだ。
僕もあと数年で、彼と同じ年齢になる。
自分よりも年下の人と遊んだりしたとき、僕も同じようなことを思われるんだろうか。
僕もふらふらした感じに見えるだろうか。
自分で自分のことを好きでいられるだろうか。
自分の中で誇りに思えることがあるだろうか。
誇りに思えるものを身につけることが出来るだろうか。
そして、自分を誇りに思えるだろうか。
いつか、昔の出来事として、明るく笑い話のように話せるだろうか。
それは、
飲み会などでは披露されることはない、
遠い昔の出来事のようで、しかし、まるで昨日の出来事のように感じられ、
どこかホロ苦く、忘れたいという思いもあるような、
しかし、自分自身の先をしっかりと睨みつけるような眼差しを持つ、
僕がどこに居て何をしていても、それによって自分の存在を自分で認識できるような、確認できるような、
そんな、僕しか知らない、誰にも語らない、
むかしのおはなし。